下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する文章著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。
なかなか海外に出ることができず、指をくわえるようにして、新型コロナウイルスの感染拡大と各国の入国規制、そして飛行機の運航を語るのも、これが最後のように思う。
入国規制をみても、欧米の半数近い国が、PCR検査の陰性証明やワクチン接種証明で入国できるようになりつつある。隔離がない国も多い。感染症対策のためのいくつかの条件は課せられているが、その垣根は低い。
新型コロナウイルスの感染が収束したからではない。ワクチン接種が進み、死亡する人の割合が減ってきたからだ。ワクチンと共存するという覚悟のうえの水際対策の緩和である。
新型コロナウイルスの感染が収束したら、世界は元通りになるというシナリオを、世界の多くの人が抱いていた。しかしその日はこないのではないか、いや、きたとしても何年も先と思うようになったのは、そう今年のいつ頃だろうか。ワクチンがそこそこの効果を示していることがその根底にはあるが、「これはある種の風邪」という着地点にもっていくことで、精神的な救済をつくりあげていったように思う。
収束しなければ海外への旅ははじまらない──という発想は脆い。少しでも感染が広まると扉をしめざるを得なくなる。しかし共存に舵を切れば、その政策はそう簡単に変わらない。
日本は相変わらず世界のほとんどの国をレベル3にしている。これは政府が決める感染症危険情報のランクで、レベル3は「渡航中止勧告」である。
しかしそのなかで新しい動きが出てきた。
いま日本に入国するとき、その国の感染の度合によって隔離期間が違う。タイからは3日の強制隔離だが、インドネシアからは10日間の強制隔離を強いられる。
しかしその一方で、強制隔離がない国も出てきた。7月下旬、帰国したときの隔離期間をみていると、エジプトは強制隔離期間がなくなっていた。2週間の自主隔離はそのままだが、空港から自宅に戻ることができる。
調べてみると、エジプトは1日の新規感染者が100人前後に抑えられていた。
こういった感染情報が反映されるのは、感染症危険情報ではなく、各国ごとの入国条件だった。これが正常な姿だと思う。
世界の情報や入国規制は、「コロナが収束する」という前提で決められたものと、「コロナと共存する」という発想でのものがある。そしていま、「コロナと共存」の感覚が、収束という言葉を凌駕しつつある。
そのせめぎあいがポストコロナということだろうか。今年の秋以降は、そんななかで、人の動きがはじまっていく気がする。
イスタンブール空港。ワクチン接種証明書があれば、渡航前のPCR検査も免除。もちろん隔離もない