下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する文章著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。
今年は3回、海外に出た。コロナ禍前は月に1回か2回のペースだったから、ずいぶんと少ない。しかしこれは僕の比較であって、一般には海外への旅を諦めている人は少なくない。
3回の旅で7社の飛行機に乗った。ZIPAIR、エチオピア航空、全日空、トルコ航空、スカイエクスプレス、ルフトハンザ航空、エア・カナダ。そのうちLCCは、東京とバンコクを結ぶZIPAIRとギリシャのスカイエクスプレスだけだった。LCCはどこも青息吐息。国内線で息をつないでいる会社が多い。
とくにアジア内を就航する飛行機の乗客の少なさは目を覆いたくなる。ZIPAIRは300人近い乗客に対応する大型機だったが、乗客は4人だけだった。全日空、トルコ航空とアジアのなかを就航する飛行機も、搭乗率は1~2割といったところ。これまで数えきれないほど飛行機に乗ってきたが、こんなに乗客の少ない飛行機は……はじめてだ。
アジアの空港も、湖の底のように静まり返っていた。免税店やブランドショップ、レストランは休業。無人都市を歩いているような気分になる。こんなことになってしまったんだ、と鼻白んでしまう。
新型コロナウイルスの感染拡大でアジアの国々は門を閉ざしてしまった。情報は見聞きしていたが、現実に暗い通路を自分の足音だけを聞きながら搭乗口に進むと、言葉が霧散していってしまう。
しかしその飛行機がヨーロッパやアフリカに入ると、光景は一変する。11月には世界を一周してみたが、トルコのイスタンブール空港で、搭乗フロアーに立ったときは、足が止まってしまった。店はすべて開き、照明がきらきら光っている。人々はコロナ禍前のように、免税品店での買い物に走る。
アジアとヨーロッパの境界がイスタンブールだとすれば、コロナ禍の境もイスタンブールだった。
新型コロナウイルスは、平等に世界の人々に襲いかかっている。しかし欧米とアジアは表と裏の世界のように際立った違いを見せる。どちらが未来があるウイルスとのつきあい方なのか。人間はその羅針盤をもっていない。
イスタンブール以西のフライトはどれもほぼ満席である。アジアの心が寒くなるような飛行機に乗って欧州やアフリカに入ると、やはり旅人は救われる。
世界一周の旅の最後は、メキシコシティからバンクーバー経由で東京というエア・カナダだった。メキシコシティからバンクーバーまでは席もほぼ埋まる普通のフライトだった。ところがバンクーバーから東京に向かう便に乗り込むと、突然の緊張感に包まれた。客室乗務員は皆、防護服を身に着け、マスクがずれて鼻が出てしまった乗客はすぐ注意を受ける。機内食は横一列の配膳が終わるまで食べることができない。一斉にマスクをはずしての食事なのだ。
これが日本に向かうという意味なのか。同じ航空会社なのに、この違いはなんなのだろう。
カナダに比べれば、日本のオミクロン株の感染者ははるかに少ない。なにが違うのだろうか。機内でひとり考える。最終的には自己責任に辿り着く話なのだろうか。
バンコクとイスタンブールを結ぶトルコ航空。こういう機内を目にするとやはり落ち込む