下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。
たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治
スカイマークが揺れている。10月から成田空港から撤退することが発表された。国際線への参入を計画し、エアバス380という大型機を6機購入する計画があったが、この契約もうまくいかず、700億円の違約金を支払わなくてはいけない可能性もあるという。
スカイマークはLCCか……。これは以前から意見が分かれた。LCCの定義が曖昧という問題もあるのだが、僕のなかでは、LCCの範疇に入っている。それは、沖縄の那覇―宮古島線に乗り入れ、一気にこの路線の運賃を安くなっていった時期を体験しているからだ。
那覇―宮古島線にスカイマークが就航したのは、2011年だった。その翌年が、日本のLCC元年だから、一歩先にLCCの風が吹いた感覚だった。
それまで那覇―宮古島を結んでいたのは、日本航空系の日本トランスオーシャンと全日空の2社だけだった。運賃は片道で1万円近くした。そこに参入したスカイマークは、最安値で3000円弱という運賃を打ち出した。通常でも4000円ほどで買うことができた。
当時、宮古島へは、年に3、4回は出向いていた。スカイマークの乗り入れは嬉しかった。運賃が4割にも安くなったのだ。
宮古島の人々の心は揺れた。安いスカイマークに乗りたいのだが、島にはいろいろなしがらみがあったのだ。とくに日本トランスオーシャンは、島の社会にしっかりと根づいていた。島のイベントを寄付という形で支えてくれた。島の高校のチームが県大会に出場するために那覇に向かうときは、特別運賃を設定してくれた。それを無視できなかった。しかしスカイマークはとびきり安い。なるべく人に知られないように、こっそりとスカイマークに乗らなくてはいけなかった。
就航当時、1日4便体制だった記憶があるが、機内で案内される機長の名前は日本人ではなかった。午前便は大丈夫だったが、午後便になると徐々に遅れが出、ときに1時間近く出発が遅れることもあった。
LCCのいい面と悪い面を一気に体験したのが、那覇―宮古島路線だったのだ。
翌年、日本国内線にエアアジア・ジャパンやジェットスター・ジャパンが就航し、LCCは注目を集めるが、沖縄にはすでにLCCの風が吹いていたのだ。
しかしスカイマークの弱みは、日本航空と全日空の協力を得ることができないことだった。さまざまな面での冷遇に遭った。
このところのスカイマークの動きを見ると、最終的にその問題に帰結してしまうのである。石垣島の空港が新しくなり、那覇―石垣島間にピーチ・アビエーションが就航した。もちろんスカイマークも飛んでいるが、やはりピーチのほうが安い。成田から那覇までの便も、ジェットスターやバニラに勢いがある。スカイマークは、そこから弾きだされてしまった感がある。
改めて日本の空を支配しているのは、日本航空と全日空なのだと痛感してしまうのだ。スカイマークは日本で3番目の航空会社を標榜しているが、その闘う相手は、常に日本航空と全日空という気がしないでもない。
それがスカイマークの宿命だとしたら、そこから見える日本の航空業界の閉鎖性にまたうんざりとしてしまう。
日本とはやはり、そういう国なのだろうか。