クーロン黒沢(クーロン黒沢)
東京都出身。1997年頃からプノンペン在住。「怪しいアキバ漂流記(KKベストセラーズ)」「デジタル・スーパースター列伝(ILM)」「エネマグラ教典 (太田出版)」など、数十冊の著書を上梓。アジアのデビル・ジャパニーズをただひたすら追跡したノンフィクションDVD「やさぐれ旅行人DJ北林」シリーズほか、海外移住・リタイア・スモールビジネス・犯罪をテーマにした電子書籍「シックスサマナ」をほぼ隔月ペースで発行中
90年代初頭からマイナー洋ゲーや裏物雑誌、そして香港、タイ、カンボジアなどアジアに暮らす常識はずれの怪人達のレポートを淡々と執筆し続ける知る人ぞ知るサブカルライター、クーロン黒沢氏。
なにをかくそうtabinote運営陣がもっとも影響を受けた導師(グル)の一人です。tabinoteではメルマガ発行100号を記念して待望のインタビューを申し込みました。
そして某月某日、数カ国語が飛び交うサイゼリア高田馬場店で無事挙行された取材はデキャンタワインの酔いも手伝い3時間近く大盛り上がりを見せたのですが……。
懸念した通り通常のメディアよりは遥かにタブーの少ないtabinoteと言えども書けないことばかり……。伏せ字・行間は読者諸兄の想像で補っていただきたい。
それではスタート。
–黒沢さんは「裏アジア紀行」「怪しいアジアの歩き方」をはじめ、いくつか旅行本を執筆されていますが、やはり旅行はお好きだったんですか?
黒沢
いえ、ぜんぜん(笑)。
とにかくお金がなかったので旅を商売とからめないと自分の中で許せないというのがあったんです。なので旅行の本を書いたというよりは、買い出しのついでの減価償却みたいなものですね。
–いわゆるバックパッカー的な旅行とは180度違いますよね
黒沢
はい。海外は香港にマジコン(注1)の買い付けに行ったのが最初ですね。1992年かな。
–でも高校出たばっかの少年が香港に買い付けに行くなんて普通じゃない実行力だと思いますよ。
黒沢
それはもうお金なんですよ。パソコンが大好きだったんですけどほんとにお金がなくて。香港で買い付けたものを売ればすごく儲かると思いこんではじめてるんです。
香港には榎本君という中国製のマジコン売って儲けた人がいてですね、彼が今度は中国製のモデムを売りはじめて、香港の深水ホ(シャムスイポー)に拠点を作ったんです。しばらくはそこに泊まれる場所があったんで香港ばかり行ってましたね。
–なるほど。次にバンコクですか?
黒沢
そうですね。そのころは若かったのでほとんど女、風俗のために通っていた感じですよね。
当時は安いし居心地がいいんでずっとジュライホテル(注2)に泊まってました。そこで変な人達とたくさん知り合いになったんですが当時は眼中になかったですね。今考えるとそっちのほうがずっとおもしろかったですけど(笑)。
–たとえばどんな人が?
黒沢
ジュライホテルではじめて会った人がバスでいろんなところに連れて行ってくれたんですけど、その人がいきなりバスの中でポ○チン出してシコシコするんですよ「タイだからいいんだよ」とか言って。いいわけねえだろと思ったんですけど(笑)。
–そのあとはカンボジアだと思うんですが、当時のカンボジアって本当にヤバいところですよね?
黒沢
はい。それはもうすごくヤバいところでした。
そのころ羽振りのよかったゲームプログラマーの友達がいて、彼がプノンペンにいきなり部屋を借りたんですよ。当時はCATVがなかったので屋根にパラボラを立ててNHKが見れるというのが自慢で。そこになんどか滞在しておもしろかったので、その横に僕も部屋を借りたんですね。それが97年くらいかな。
–当時のプノンペンは他の国に比べても難易度が高い気がしますがなぜプノンペンに?
黒沢
いやあ、なんだったんでしょうね。とにかく売春もドラッグもほかよりぜんぜん突き抜けて狂ってる感じだったんですよ。住んでる人たちもバンコクにいる連中が可愛らしく感じるくらいのドキチ○イばかりで……。この狂気を心ゆくまで満喫できるのは今しかないなと思ったんですかね。
バンコクはバンコクですごく広くていろいろあっておもしろいんですが、プノンペンは狭くて薬と女以外ほぼなにもないんですが、確かスワンナプーム空港よりもちっちゃいんです。
–じゃあそこで悪さする日本人とか全部わかっちゃう。
黒沢
そうそう。とにかく密度が濃くて狭い世界だから、誰がいつどこでなにをやったというのが全部入ってくるわけです。
だからこの街にずっといると、横丁の耳年増のおばさんみたいな感じになって、その小さな世界に執着するというか、その世界の情報をずっと追っていたくなるんですよ。
たとえば来た頃は真面目なサラリーマンだった人がだんだん壊れていく過程がリアルタイムに追えるとか。それがすごくおもしろくなってきてしまったんですよね。
–90年台後半からは基本プノンペンが拠点なんですよね。
黒沢
はい。バンコクと半々くらいの時もあったんですけど、ほんとそれくらいですよね。なので、他の国に長期で行ったこととかほとんどないんですよ。
カンボジアとバンコクにほんとに飽きた時にちょろっと行くくらいでしたね。
–アジア以外の場所に行きたいと思ったことはあるんですか?
黒沢
ありますよそりゃ(笑)
でも98年くらいにカンボジアで仕事をはじめてしまって忙しくなっちゃったんですね。そこそこ儲かってたので行こうと思えばどこでも行けたんですが、ぼくがいないとまわらない仕事なんでぜんぜん行けなかった。
だからその仕事はじめてから本を書くこともしばらくやめてたんですよ。ほとんどその仕事でかかりきりみたいになってしまって。
あ、欧米はまったく行ってないです。横田基地に入ったくらいですね(笑)。
–本当に旅行に縁がないんですね(笑)。
では、話題を変えてプノンペンのおもしろエピソードなどありました。
黒沢
そうですねえ。17,8年前ですけど、いつものようにプノンペンの街を散歩してたら、線路脇にうずくまってるおばさんの乞食がいたんですよ。話しかけてみたらどうやら売春しているみたいなんで「どこで?」と聞いたら「私の家で」っていうんですね。
それで湖の横にある家に連れてってもらったら、湖の側だけ壁がまったくないんですよ。素通しなんですね。そこには何千匹もの蚊がブンブン飛んでてそれはそれは……。
で、終わった後に100ドル札しかなかったので「お釣りもってこい」って渡したら、どこかにでかけていって20分くらい帰ってこない。するといろんなところで怒鳴られてる声が聞こえてくるんです。その後ようやくシワシワの札とともに帰ってきました。
で、その話を友達にしたら「オレも行きますよ」って行ったんだけど「どうしても見つからないんです」って帰ってきて(笑)。いい話でしょ。
–いい話ですね……。
黒沢
あと、どこかに書いたかもしれないんですけど、昔ビエンチャンに日本人女性立入禁止というカフェがあったんですよ。そこに行ったことがある友達いわく、いつもニッカボッカを履いた日本人のジジイが経営してたそうなんですが、それがなくなってがっかりしてたら、ある人がノンカイのバスターミナルにあるよと教えてくれたので行ってみたんですね。
–ほうほう
黒沢
そしたら確かにそのバスターミナルにはカフェがあって、中にはいると本棚にはガロ(注3)のバックナンバーがたくさん。誰が読むんだって(笑)。
で、そのニッカーボッカー履いたオヤジが出てきて「ご注文は?」というのでスパゲティを頼んだら、漢方薬みたいな味がするこれまで食べたスパゲティの中でいちばんクソ不味いものが出てきて(笑)。
で、「ここ日本人女性立入禁止なんですよね?」って聞いたら、「いやいや日本人女性だけじゃなくて英語教師も立ち入り禁止だ」って。
–(爆笑)
そういえばチベットに行かれたことがあるそうですが、きっかけはなんだったんですか?
黒沢
あるお金持ちの方が秘境巡りにはまった時にお付き合いで行ったという流れですね。
–どんな方なんですか?
黒沢
97年くらいにフリーペーパーを作っていた時に、はじめて広告を出してくれた、今のアメリカ大使館があるあたりの土地を全部持ってたという大金持ちの方です。
で、その方の家に遊びに行ったら、まだ若いのに迷彩服着て中国語もペラペラでどう見てもカタギじゃないんですよ。
彼曰く「日本でいっぱい借金して逃げてきたが、実は中国に不動産がある。取り返すのを手伝ってくれ」と言うんです。
–すごい展開ですね。
黒沢
詳しく話を聞くと、その土地というのが、中国の国立公園に指定されているというすごい場所なんですね。
そこに彼が18ホールのゴルフ場を作るという計画で買ったそうなんですよ。彼がそこを手に入れたのは鄧小平がピンピンしてた頃で中国で個人で土地所有している日本人なんかいなかった時代ですよ。
–ゴルフ場開発とはまたバブリーな。
黒沢
ところが土地を買ってゴルフ場を作り始めたのはいいんですが、完成寸前に100年に1度という雹(ひょう)が降ってめちゃくちゃになったそうなんです。それで10年ほっといたからややこしいことになってて、そこでアヒルの養殖やってるバカとかがいっぱいいて、そいつらを追い出さなきゃいけないという。
というわけでカンボジアから人相が悪い人間を何人も送り込んだんですよ。
–うわあ(笑)
黒沢
行ってみたらいやもうすごかったですよ。なんかすごい幻想的で水墨画みたいな風景を進んでいくと島が見えてくるんですが、ゴルフ場なのに常に霧でほとんどなんにも見えないんですよ。
–ダメじゃないですか!(笑)
黒沢
という事があってその人はそこを売るのに奇跡的に成功したんですね。
–売れたんだ!!
黒沢
はい。で、その後にその土地にブルドーザー入れてみたらなんか古墳みたいなものが出てきて、
–古墳ですか?!
黒沢
古墳の中に入ったら彼を呪う祭壇みたいなものがあったと(笑)
よくよく聞くと彼を裏切ってその土地をガメてた中国人の社長がいるんですがそいつが呪殺しようとしてたらしいですね。
–ひええええ!!
黒沢
そんな事件があったあとに彼といっしょにネパールやチベット行ったんですけど、彼は一切人を信用しないので、いつなにがあってもいいようにスーツケースの中に数百万円入れて持ち歩いてるんです。
それをネパールに抜けた時に何回も検問で見つかってもめちゃって。
–そりゃもめるでしょ。
黒沢
露骨に役人にもってかれて、その度に怒っておいかけて、取り返して。
チベット人の運転手雇う時にもいきなり札束を渡すんですよ。そうすると向こうも目の色が変わってなんでも言うこと聞いてくれる。「チップは後じゃなくて先に渡せ」が口癖でした。
–そもそもその方はなんでそんなにお金をもってるんですか?
黒沢
とにかく目端が効く方なんです。例えば2007年ごろからヤフオクで古い金時計を2000万円ぶんくらいバンバン落札しまくってたんですよ。で、いい時計は温存し、壊れている時計は中国で潰して溶かして金の塊にしてしまうんです。その状態でもプノンペンのある場所に持っていくと、身分も聞かれずわけのわからない金の塊をきちんと適正価格で買い取ってくれるんですよ。
今は金の価値は高止まりしちゃったんで、他の貴金属で同じようなことされてますね。
–いやあ、すごいですねえ……。
黒沢
ほんと当時のプノンペンはおかしな人ばかりで……。
もうちょっとよく観察して写真でも撮っておけばよかったと後悔してます。
昔は自意識が邪魔してたのか、写真を撮るのがすごいかっこ悪いと思っていてあまり撮らなかったんですよね。
撮ったとしてもQV10(注4)のいちばん解像度の低い設定で撮ってたんで、今見たらサムネイルですよ(笑)。
–なかでもこれは覚えているという景色はありますか?
黒沢
今はもう別の場所に移っちゃってないんですが、プノンペンに巨大なゴミ山があったんですよ。当時は出入り自由だったのでいろんな人を連れて行ってたんですね。
いちばんおもしろかったのが、大阪のポール・マッカトニーの追っかけをしているという金持ちのオヤジですかね。その人をバイクの後ろに乗っけて走ってたんですが、ゴミ山に着いたらその匂いに驚いていきなり嘔吐しちゃったんです。
–バイクの後ろで!
黒沢
はい。その嘔吐の方向が直角というか水平というか、とにかくきれいな形状で噴霧されてびっくりしちゃって。それがとっても美しかったですね。
–そのゴミ山はそんなにすごかったんですか?
黒沢
ええ、匂いもすごいし蝿もすごいし、すべてが半端なかったですね。「どですかでん(注5)」の世界ですよ。
日本も戦後すぐはこうだったんだなって。
–素晴らしいお話ですね。
黒沢
そのゴミ山の写真をずっと撮ってるカメラマンの方がいるんですが、その方はゴミ山で焚き火をしてた人が始めた小学校にずっと寄付をしていたんですね。で、その焚き火をしてた人が今は理事長と呼ばれるようになって、いまやビルになった小学校にタダで泊まれるという権利を得たらしく、いまでもそれをあてにして毎年訪れているんです。
けれど、理事長の方は毎年訪れるカメラマンの人をあまりよく思ってないらしく、毎年来るごとに部屋がひどくなっていくそうなんです。今年なんかもう壁一面カビだらけだったり。
それでも毎年いくらかをその学校に支援し続けいている意地比べのような行為が美しいなと思いましたね。
–今日は本当にありがとうございました。
(以後、とてもここには書けない話が続く……。)
注1
マジコン:テレビゲームのゲームソフトをコピーするツールのこと。表向きは著作権法で認められている私的複製用途を想定して販売されていたが、違法なコピーソフトの作成に使われ問題となった。90年代にはパソコン雑誌などをマジコンの広告が埋め尽くす牧歌的な光景が見られた。
注2
ジュライホテル:タイのバンコク、中華街の近くに存在したホテル。1995年閉館。バンコクにおける老舗の日本人宿として知られ、個性的かつ訳ありの宿泊者が長期滞在することで知られていた。
注3
ガロ:1964年創刊のマンガ雑誌(現在は事実中の休刊中)。白土三平のマンガ「カムイ伝」の連載を目的として発刊され、オリジナリティにあふれた作家を数多く世に送りだした。原稿料ゼロという方針も有名。主な出身作家にはつげ義春、根本敬、蛭子能収、みうらじゅん、泉昌之、ねこじるなど。
注4
QV-10:カシオが1994年に発売したデジタルカメラ。小型かつリーズナブル(定価65000円)、背面の液晶パネルやパソコンとの接続機能といった特徴をもち、撮影画像をすぐにWebへとアップロードできることからベストセラーとなった。
注5
どですかでん:黒澤明監督の日本映画。1970年公開。原作は山本周五郎の小説「季節のない街」。出演は頭師佳孝、菅井きん、田中邦衛など。
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