下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する文章著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。
運が悪いとしかいいようがない。日本航空が設立したLCC、ジップエアトーキョーである。
この航空会社は2018年に設立。翌年に許可を得、2020年からソウルやバンコクに就航を予定していた。ところが新型コロナウイルスである。就航は延期になり、貨物便などでしのいできた。そしてようやく昨年後半から、ソウル、ハワイ、バンコクへの就航をはじめた。しかし乗客は少ない。
ジップエアトーキョーの話を聞いたとき、9年前の全日空とエアアジアの提携を思い出した。時代はまさにLCC。全日空とマレーシアのLCCであるエアアジアは提携し、エアアジア・ジャパンをつくった。ところがその1年後には提携解消。全日空がエアアジアの株をすべて買いとる形でバニラ・エアになった。
その原因は両社の経営哲学の違いだったといわれる。価格競争にこだわるエアアジアに対して、全日空は日本式サービスに固執したようだ。
ジップエアトーキョーも同じ構図だった。日本航空の傘下には、ジェットスター・ジャパンというLCCがある。しかしここにはカンタス航空の資本も入っている。そこで100%日本航空のLCCという話だった。
日本のLCCは、結局のところ、純血化の道を選んだことになる。やはり海外の会社の息がかかった世界はやりにくいということだろうか。なにか日本の航空会社の限界を感じてしまう話ではあるが。
現在、東京からタイのバンコクまでは、日本航空や全日空、タイ航空などがが、毎日ではないが就航している。そこにジップエアトーキョーが加わった。2月の運賃をみると、往復で3万円台の半ば。日本航空や全日空の半額近い運賃になっている。LCCとして存在感を示している。
いまタイに行こうとすると、航空券と2週間の隔離ホテルを予約し、タイ大使館で許可をとり、PCR検査などを受ければ、ビザがなくても渡航することができる。
しかしそこまでしてタイに行く観光客はいないから、ジップエアトーキョーを利用するのは、どうしても帰国しないといけないタイ人ぐらいではないかといわれる。利用客は少ないはずだ。
この環境が早晩、変わるとは思えない。
経営は苦しいが、なんとか就航させないと、LCCをつくった意味がないということなのだろうか。
ジップエアトーキョーはLCCだがスワンナプーム空港を利用する