「タビノート」下川裕治:第102回 滑り込みの出入国

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shimokawa

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。

たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

 それなりに準備はしていた。シートピッチがあまりに狭いフィリピン航空の話を書くつもりだった。そんなことを考えていたのが3月の初旬だった。航空業界の暗転はその頃からはじまった。
 3月半ばからバンコク経由でバングラデシュに行くことになっていた。バングラデシュ南部にある小学校の運営にかかわっていた。学校の改修費用をクラウドファンディングで募った。寄付をいただいた方々に同行して学校を訪ねる旅だった。
 訪ねるメンバーは各自で飛行機の予約を入れた。3人はエクスペディアを使った。バンコク経由でダッカに向かうタイ国際航空だった。僕もそれに合わせ、バンコクとダッカの間をタイ国際航空で予約した。
 3月初旬、予約を入れたタイ国際航空の便がフライトキャンセルになったという連絡を受けた。理由は新型コロナウイルスだった。乗客の減少が続いていたのだ。それから2日に1回ぐらいのペースで、フライトキャンセルと便の変更が届いた。日本からの接続が悪くなり、日本から他社便で行くことになった。そのためには、まず予約を落とし、再度、予約をしなくてはならなかった。そんなことに忙殺された。
 やりとりはタイ国際航空だった。間にはエクスペディがあったのだが、連絡がとれなくなっていた。フライトやホテルのキャンセルや払い戻しの問い合わせが殺到し、パンク状態だったのだろう。タイ国際航空は全額払い戻しに応じたが、支払先はエクスペディアである。最終的な払い戻しはエクスペディアとの交渉になる。
 そうこうしているうちに、3月28日以降、タイ国際航空のバンコクーダッカ便は2ヵ月運休になってしまった。さて、どうしようか。
 悩んでいるうちにバングラデシュ政府の発表があった。入国時に、新型コロナウイルスに感染していない証明書の提示が義務づけられてしまったのだ。
 結局、バングラデシュに行くことはできなくなった。
 僕は講演や仕事があったので、バンコクまでは行った。その翌日、タイ政府は日本からの渡航者に2週間の経過観察を課すようになった。バンコクでの用事は次々にキャンセルになっていった。
 身動きがとれない。
 なんとか帰国した。しかしそれから2日後、タイから日本に来た人は皆、14日間の自宅待機が課せられることになった。
 滑り込むようにタイに入国し、滑り込むように日本に戻ってきた。次に海外に出る予定も建てられない。


全日空で帰国した。東京―バンコク線も減便体制に入っていた