「タビノート」下川裕治:第89回 バングラデシュの国内線もジェット機の時代?

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shimokawa

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。

たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

 タラップをのぼりながら、はじめてバングラデシュの国内線でジェット機に乗るような気がした。プロペラ機に比べると、ジェット機は機体が高いから、タラップも長くなる。
 いや、1回だけバングラデシュでジェット機に乗ったことがある。10年ほど前のことだ。バンコクから、ビーマン・バングラデシュ航空でダッカまでの航空券を買うと、国内線が無料になった。いまでも無料だと思う。それを利用してダッカからチッタゴンまで乗った。そのときジェット機に乗った。以来、バングラデシュでは何回か飛行機に乗ったが、いつもプロペラ機だった。
「バングラデシュで国内線にジェット機を飛ばしているのは、ビーマン・バングラデシュ航空だけかもしれない」
 勝手にそう思っていた。
 バングラデシュで次々に航空会社が誕生して10年以上になる。どこもプロペラ機を数機保有し、運航をはじめた。栄枯盛衰が激しい。ユナイテッド・エアウエイズという、ユナイテッド・エアラインが文句をつけそうな航空会社もあった。GMGエアラインという会社もあった。しかしいつの間にか姿を消してしまった。
 ユナイテッド・エアウエイズは南部のチッタゴンやコックスバザールへの路線が多かったせいか、何回も乗った。あるNGOの欧米人スタッフと機内で隣になった。
「ユナイテッド・エアウエイズは、ビーマン・バングラデシュ航空よりずっといい。とにかく予定通りに飛んでくれることが助かるよ」
といっていた。
 3年間ほどバングラデシュから足が遠のいてしまった。コックスバザールからダッカまで飛行機で戻ろうと思った。地元の人に訊くと、
「ノボエアーがいちばん」
 といわれた。聞いたこともない航空会社だった。なんでも運航時間が正確なのだという。時刻表を見ると、コックスバザールとダッカの間に1日3便もあった。
 しかし希望日の運賃は高かった。その半値近くの片道6000円ほどの運賃を提示していたのが、USバングラ航空という会社だった。この航空会社名もはじめて耳にした。調べるとアメリカの会社との合弁会社だった。2014年に運航をはじめていた。
 ボーイング737を2機もっていた。
 それに僕は乗り込んだわけだ。ボーイング737は、LCCの世界ではよく使われる機材だが、こうしてバングラデシュで乗ると、機体も大きく、頼もしい感じがするものだ。
 バングラデシュもジェット機の時代になってきたか……。
 だが出発は2時間遅れた。


USバングラ航空は国際線にも就航。ビーマン・バングラデシュ航空に対抗の予感はない