「タビノート」下川裕治:第59回 航空会社が次々に変わっていく2

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shimokawa

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。
たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

ロシアの北極圏にあるムルマンスクにいた。ここから日本に帰国することになった。ムルマンスクには空港があった。そこから飛行機でモスクワに出ることにした。
 検索サイトを見ると、アエロフロートがいちばん安かった。2時間40分ほどのフライトで1万円ほどだった。予約を進めていくと、なぜかノルダヴィア航空になってしまった。
 フライト当日、空港に出向くと、S7航空のチェックインカウンターに行けといわれた。
「あの……ノルダヴィア航空で予約したんですけど」
 遡ればアエロフロートで予約したのだが、そのあたりをいうと、さらに面倒なことになる気がして黙っていた。
S 7航空のカウンターに、ノルダヴィア航空の予約記録を差し出した。スタッフはなんの疑問も挟まずに、チェックインを進める。
「あの……ノルダヴィア航空で予約したんですけど」
「大丈夫です。コードシェアをしてますから」
 そんな言葉が返ってきた。
 コードシェアの場合でも、予約を入れた航空会社でチェックインをするのが普通だ。しかし、ノルダヴィア航空のカウンターがないのだから、どうすることもできない。
 無事、搭乗券を受けとった。それはノルダヴィア航空の搭乗券だった。
 ウィキペディアで見ると、ノルダヴィア航空は、流浪の航空会社だった。もともとアエロフロートだったが、ソ連崩壊後に独立した。しかしその後、再びアエロフロートの子会社に。社名は、アエロフロート・ノルド航空だった。しかし墜落事故を起こし、ノルダヴィア航空になった。そして2011年には、ノリリスク・ニッケルという会社に買収された。ノリリスク・ニッケルは、非鉄金属を生産する大手企業である。
 危うい綱渡り航空会社は、経費を節減するために、S7とコードシェアし、チェックイン業務を委託したのだろう。
 こういうことを平気で行うのが、ロシアの航空業界というものらしい。ロシア人たちは当たり前のような顔でチェックインをしていたから、珍しいことではないらしい。
 吹雪が激しくなり、どうなるかと思ったが、ノルダヴィア航空はよろよろと30分遅れで離陸した。機材はボーイング737だった。シートピッチはそれほど狭くなかった。モスクワに着くまでの間に、ハムサンドイッチ、ジュースにコーヒーという機内食も配られた。どこにもLCCの気配はなかった。
 しかし運賃と競争論理だけがLCC化している。それがロシアの国内線のようだった。

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気温はマイナス15度? 風吹のなかの搭乗だった