下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。
たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治
すっかり日本のLCCになっていた。
バニラエアである。
先日、バニラエアで沖縄を往復した。往路は4000円、帰路は週末にあたり4000円のチケットを確保することができなかったが。
これまでエアアジア・ジャパンを使い、何回か沖縄を往復した。アジアで何回となくエアアジアを使っているから、それほど気にはならなかったが、そこかしこにエアアジアの流儀が顔をのぞかせていた。はじめて利用する日本人は戸惑うだろうな……と思ったものだった。
しかしバニラエアは、チェックインのときから違った。実にスムーズだった。エアアジア・ジャパン時代は、機内持ち込み荷物のことや、座席のことなど、細かな説明をうけた。しかしバニラエアは、搭乗口と搭乗時刻の説明だけだった。
外で買った食べ物を機内に持ち込むことも注意されなかった。だいたい搭乗待合室の売店でサンドイッチなどを売っているのだ。那覇の待合室では空弁も売っていた。
機内で販売される食事のメニューも日本色が濃くなった。バニラエア特製のクリームパン……つい買ってしまった。ラックにはクーポンがとじ込まれた冊子も入っていた。日本の飛行機だなぁ……と、つい呟いてしまう。
機内のシートは黒いままだったが、エアアジアお得意の、あの赤いシートカバーが消えた。レッドシートというものがなくなったのだ。
細かいことかもしれないが、飛行機という乗り物が生むストレスというものは、些細な原因の蓄積だと思う。いくつかの小さな不快感が重なっていくと、ストレスというものに膨らんでしまう。
バニラエアは日本のLCCになって、そのストレスはずいぶん軽減された。逆に考えれば、アジアで成功したエアアジアの流儀は、日本ではなかなか受け入れられなかったということでもある。
それがなんなのか、じっくり考えてみたいテーマでもあるのだが、少なくとも、乗客たちの面もちは穏やかだった。ここまでになるのに、必要な遠まわりだったのかもしれない。