下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。
僕にとって、飛行機とはなんだろうか……と考えることがある。運賃とか、LCC、マイレージといったものに振りまわされてしまっているが、なにかが違うという思いはいつもある。
ミャンマーのタチレクという街の空港で滑走路を眺めていた。
「来るだろうか……」
空を見あげる。出発予定時刻を1時間ほどすいている。乗客たちは不安すら見せずに、ただ待っている。
北側の空に小さな点が見え、やがて少しずつ大きくなってくる。
「来た」
飛行機は来たら、搭乗することができる。それは僕の経験でもある。これまで、なかなか来ない飛行機をどれほど待っただろうか。
こういう飛行機はプロペラ機である。さして大きくもない機体が滑走路に滑り込み、プロペラがまわる音がなんともうれしい。
これで帰ることができる。安堵にとろけそうになる。
さまざまな状況があった。アメーバ赤痢を患い、重い体を椅子にあずけながら飛行機を待ったカブールの空港。陸路での出国を拒否され、午前4時発という飛行機を待ったロシアのアストラハンの空港。天候が悪化し、わずかな晴れ間を縫うようにパキスタンのギツギット空港に姿を見せた小型のプロペラ機。
飛行機だけが頼りだった。乗ることができなかったら、ただ待つしかなかった。3日ほど待ったこともある。
「今日も来なかった」
とぼとぼと街の安宿に戻るのだ。
僕にとって飛行機の原点は、そんなところにある気がする。陸路は治安や天候の影響で通行が難しくても、飛行機なら超えることができることがある。飛行機に頼るしかない状況がときにある。運賃やマイレージ、機内食など無縁である。とにかく飛んでくれればいいのだ。
ミャンマーの空港で飛行機を待つ。まんじりともせずに滑走路を待ち続けていたときを思い出す。今日はタチレクからラーショーまで飛ぶ。外国人は陸路で向かうことが許可されていないルートである。ミャンマー北西部、シャン州の治安はまだ安定していない。
しかし飛行機なら越えることができる。ATR72 というプロペラ機だ。滑走路でくるりと向きを変える。プロペラ機は小まわりが効く。
到着が1時間半ほど遅れたが、不満はなにもない。離陸したのは、それからさらに1時間後だった。誰ひとり文句はいわない。ミャンマー人のとって飛行機とはそういうものなのだ。僕にとっても。
タチレクからラーショーまでの運賃は100ドルほど