「タビノート」下川裕治:第107回 那覇空港の第2滑走路で失望

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shimokawa

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。

たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

 海外への渡航が難しいこともあるのだが、沖縄ばかり訪ねている。沖縄本島の那覇空港を利用することが多いが、この空港が一気につまらなくなってしまった。
 那覇空港の僕の行きつけはA&Wである。ルートビアが好きなこともその理由のひとつ。人からは、「トクホンのような味がする」とか「イソジンを飲んでいるようだ」と非難される飲み物なのだが。
 しかしそれ以上に、ここから那覇空港を眺めることが好きだった。
 僕は空港という場所が好きだ。つらい旅を続けているとき、空港はオアシスだった。椅子があり、自由に使うことができるトイレがあった。おなかを壊していても問題はない。ときに冷房が効いていることもある。ある人は、「途上国の空港には近代があるから」といった。
 空港で原稿を書くことも多い。なぜかわからないが、空港では仕事が進む。
 那覇のA&Wは、それに眺めが加わる。沖縄の空。その向こうに翡翠色の海。そこで離発着する飛行機。それを眺めながら、原稿を書いた時間はかなりの長さになる。
 ところがこの眺めがなくなった。那覇空港の第2滑走路が完成したからだ。全長2700メートルのこの滑走路は、今年の3月にオープンした。辺野古を認容する見返りの助成金も建設資金に使われたはずだ。埋め立てエリアは、辺野古の2倍という広さだが、さしたる反対運動も起きずに着々と工事は進んだ。
 那覇空港は過密空港だった。旅客機の離発着便も多いが、自衛隊の戦闘機も利用する。分単位で離発着が繰り返される様子は、A&Wの窓から眺めていればよくわかった。第2滑走の完成で、離発着枠は1.8倍に増えたという。
 先月、那覇空港から空港に戻るとき、A&Wに入った。ルートビアを頼み、空港に視線を向ける。
「ん?」
 駐機する飛行機は見えるが、離発着するところが見えない。第2滑走路はこれまでの滑走路より海側につくられ、空港ターミナルから離れたところにできたようで、間近に見ることができるのは、地上を移動する飛行機だけだった。
 これではなんだかつまらない。
 あの空と海を借景にしたタッチダウンがよかったんだけどな……。
 残るはルートビア。それを飲むためにA&Wの席には座るが、窓際の席を確保する必要もなくなってしまった。ちょっと寂しい。


A&Wのルートビアはお替り自由。これは変わらないよ