「タビノート」下川裕治:第78回 新エアアジア・ジャパンに勢いはない

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shimokawa

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。

たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

 福岡を発った飛行機がセントレアと呼ばれる中部国際空港に着いた。ターミナルに着くと、隣にアジアではおなじみのデザインの飛行機が停まっていた。
 エアアジアである。
 正確にいうと、エアアジア・ジャパン。昨年の10月、セントレアと札幌間に就航した。
 このエアアジア・ジャパンは、2013年まで日本の国内線や国際線をにぎわしたエアアジア・ジャパンとは違う航空会社である。
 旧エアアジアは、マレーシアのエアアジアと全日空の共同出資で運航をはじめた。しかしその方向性の違いから提携は解消。全日空の子会社LCCであるバニラエアになった。
 その後、エアアジアは新しい提携先を模索し、楽天やノエビア、アルペンなどの出資を得て、新生エアアジア・ジャパンが生まれた。
 セントレアを拠点に新エアアジア・ジャパンができたのは2014年。それから3年……。ようやく就航した。
 しかし路線はセントレアと札幌を結ぶ1路線に1日2往復。これだけである。発足から4ヵ月がたったが、新路線の話は聞こえてこない。
 ここ半年ほど、月に1回、名古屋に通っている。アジアに出向くことが多く、そこから直接セントレア……とはじめは考えていた。しかしフライトを見て、少し焦ってしまった。アジアからセントレアに向かう便が予想以上に少ないのだ。やはり名古屋は、東京や大阪に近いのだろう。新幹線や私鉄が充実し、羽田や成田、そして関空で名古屋からの利用客をとりこめてしまう。
 バンコクから向かうことが多いが、これまで利用したのは、那覇乗り継ぎや関空がら列車というパターンが多い。
 新エアアジア・ジャパンも名古屋を拠点にした国際線の優先順位は低い気がする。流れは国内線なのだろうが、札幌往復だけでは大きな流れはつくれない。
 乗った知人によると、旧エアアジア・ジャパンに比べると、予約システムや対応はずいぶん日本ナイズしたという。ピーチやバニラ、そしてジェットスターを意識しているのだろう。
 日本のLCCは日本航空と全日空の子会社LCCの独占傾向が強まっている。東南アジアのように、参入する会社が少なく、無風状態に陥っている。春秋航空の存在感はなかなか高まってこない。これは日本航空と全日空の意図したことなのかもしれないが、この傾向はやがて運賃を硬直化させていく。
 新エアアジア・ジャパンに、日本LCC業界に風穴を開ける勢いはなさそうだ。マレーシアのエアアジア本体も、かつてのような勢いはないが。


セントレアのエアアジア・ジャパン。どことなく元気がない?