「タビノート」下川裕治:第112回 ビザに代わって抗体という時代?

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shimokawa

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する文章著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。

たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

 旅はいつ戻ってくるのだろうか。
 新型コロナウイルスはなかなか収束しない。これから自由な旅へのロードマップのようなものを描いてみる。専門家の間では10月というひとつのラインが語られつつある。
 ひとつは感染者の減少だ。年内に収束するとは思えないが、ロックダウンや人々の意識の変化で、感染者が減っていくことは間違いない。業界としたら、どこか見切り発車を考えることになる。
 そこにワクチンが加わってくる。10月までに、集団免疫ができるまで接種が進むとは思えないが、人口の6~7割という数字には近づいていく。
 しかしワクチン接種率は国によってばらつきがある。世界一律に旅が解禁されることは考えにくい。感染者数とワクチン接種率を考慮して、ある国とある国の間の渡航は認められる……という状況になっていくだろうか。
 僕らの世代はそういう環境のなかで旅をしてきた。以前、渡航を阻んでいたものは政治体制だった。旅の世界ではビザということになる。いまでもビザの壁は残っているが、その高さはだいぶ低くなったが。
 世界が東西に分裂していた頃、国籍によって渡航先の制限があった。日本は西側に属していたから、僕は東側諸国に行くことができなかった。アジアでいえば、タイへの渡航はできたが、近隣のラオス、ミャンマー、カンボジア、ベトナムなどは難しかった。
 しかしその後、東西緊張はゆるみ、渡航がしだいに許されていくようになる。僕の30代のアジア旅は、こうして広がっていった。東南アジアの旧社会主義圏へのビザなしでの渡航が実現するまで、10年近い年月がかかった。
 かつての政治的なイデオロギーが、抗体というものに収斂されていくということだろうか。感染の収束はだいぶ先だろうが、これからの旅行者は、自らの抗体と向かう国の渡航規制の緩和という条件を照らし合わせながらの旅になっていく気がする。その状況がはじまるのが10月?
 旅行業界が考えるロードマップはそんな枠組みのなかで描かれるのだろうか。
 いや、そんな科学的な根拠を無視してなし崩し的に旅が解禁されていく可能性もある。それが10月……。
 世界の航空機のスケジュールは、夏ダイヤと冬ダイヤにわけていることが多い。夏ダイヤは3月末から10月上旬。つまり今年の冬ダイヤからスケジュールを戻していくという読みが現実味を帯びてきている。


成田空港。空港内は多くの店舗が閉まっているが