下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。
たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治
エアアジアの提携運航があまりうまくいっていない。日本では、エアアジアと全日空が提携し、エアアジア・ジャパンが誕生。運航を続けていたが、座礁に乗り上げてしまった。そして提携は解消され、全日空が買い取る形になったことは記憶に新しい。
フィリピンでも同じことが起きた。日本より早く、フィリピンではゼストエアウェイズとの提携が実現。2010年には運航が開始された。しかし今年の10月から、運航の中止が発表された。日本と同じ流れである。
エアアジアはマレーシアで生まれた。その後、タイ・エアアジアとインドネシア・エアアジアが誕生。この2社はそれなりの運航を続けている。この2社は、マレーシアのエアアジアとの提携ではなく、単独のLCCとしてスタートした。それがよかったのかもしれない。
そこにエアアジアの問題があるような気がしてならない。たしかにエアアジアは、アジアのLCCを牽引してきた。その功績は大きいが、成功が生んだ自信は、ときに驕りを生む。とくにマレーシアのエアアジアは、トニー・フェルナンデスという創業者の個性が色濃く反映されているといわれる。それが、日本やフィリピンでも足枷になっている点もある。
LCCは運賃を安くする構造が画期的だった。そのシステムを導入することで、価格破壊と構造変化をもたらした。しかし多くの国で競合LCCが誕生するなかで、いまや価格競争と同時に、サービス競争が生まれている。サービスをいかに簡略化するかで、安い運賃を導き出したのだが、競争が激しくなると、その国の国民性をとり込んだサービスが武器になるという、一見、矛盾した構造を生み出している。15分前までチェックインを受け付け、遅れも少なく、機内では空弁を食べることができるという日本の国内線に慣れてしまった日本人にとって、マレーシア流のLCCシステムの押し付けは、かえってストレスを生んでしまったようだ。
LCCも国ごとの特色を生かす時代に入ってきたということなのだ。
僕はしばしばタイ国内でLCCに乗る。タイはエアアジアとノックエアという2社の競合が続いている。知り合いのタイ人に訊いてみると、「少し高いぐらいでも、ノックエアを選ぶね。ストレスがないんだよ」
という答えが返ってくる。ノックエアは一定量まで預ける荷物は無料にし、機内では簡単な機内食も出す。チェックインの締切も、エアアジアよりかなり待ってくれる。
LCCはそんな時代に入ってきたようだ。