下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。
たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治
ベトナムのホーチミンシティから、エアアジアでバンコクに向かった。10月10日だった。
ホーチミンシティとバンコク間には、1日3便のエアアジアが就航している。朝の9時45分発の2791便、17時55分発の2795便、21時20分発の2799便である。どれもタイ・エアアジアの運航だ。
最終便の予約をとっていた。空港に早く着いてしまった。午後6時ぐらいだったと思う。出発ロビーに入り、出発便を示す電光掲示板を見あげた。
最初のほうに2795便の掲示があった。出発が10分ほど遅れるようで、「FINAL」の表示が出ていた。視線を下におろしていく。20時台の便が続き、21時台になる。
「ない」
何回見ても、予約した2799便の表示がない。その先の飛行機は表示されている。
2795便のチェックインカウンターに行ってみた。誰もいなかった。エアアジアのオフィスもない。案内カウンターに行ってみた。プリントしたチケットを差し出すと、カタカタとコンピュータのキーボードを叩き、そのチケットに、「19:20 G」と書いて戻してくれた。「19時20分にGカウンターでチェックインがはじまる」という意味である。
「でも、あの掲示板に表示がないんですけど」
「大丈夫です。こちらには出てますから」
こういうこともあるのだろうか。いままでもう、数えきれないほどエアアジアには乗ってきたが、掲示板に出ない便は1回もなかったような気がする。
どういうことなのだろうか。
Gカウンターのそばで待っていた。19時ぐらいになると、青い制服を着た男女が数名、カウンターの近くに現れた。エアアジアの制服を着ていない。しばらく見ていると、カウンターにエアアジアの表示を置いた。たしかに飛ぶようでほっとしたが、相変わらず、掲示板には表示は出なかった。
チェックインの列に着いた。職員の手続きはぎこちなかった。制服には、ベトナムの別会社の表示がある。どうもエアアジアは、チェックイン業務をベトナムの会社に委託しはじめたようだった。
示された搭乗口に向かった。そこにも2799便の表示はなかった。行く場所もないので待つしかない。30分ほど待っただろうか。チェックインカウンターにいた職員がやってきて、搭乗口の変更を伝えられた。
そこに移ったのだが、そこにも表示はなかった。その間、空港アナウンスはなにもない。
無事、飛行機は飛び立ったのだが、振り返ってみると、最後まで掲示板に、2799便の表示は現れなかった。案内放送もなかった。
機内は半分ほどの席が埋まっていた。
皆、どうやってチェックインカウンターをみつけ、この便に搭乗したのだろうか。なにごとも起きなかったように飛び立った飛行機のなかで、ひとり悩んでしまった。
タイ・エアアジアは、海外での業務を委託しはじめているのかもしれない。その狭間のできごとなのだろうか。いつまでたっても気が抜けないLCCである。