「タビノート」下川裕治:第37回 アジアの移動はエアアジアがなければ難しい?

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shimokawa

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。
たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

 昨年の末、エアアジアが墜落した。正確にいうと、エアアジア・インドネシア。スラバヤからシンガポールに向かう便だった。
 LCCが日本に就航したとき、「安全なのか」という質問を何回も浴びせられた。その発想の背後には、「安かろう悪かろう」という心理があった。
 これだけ安いのだから、整備に手を抜き、機材も古いのではないか……と。飛行機の安全基準は、各国で決められていて、LCCや既存の航空会社という違いではない。安全かどうか……という質問は、日本航空や全日空が安全か、という質問と同じだと答えていた。
 そう口にできるのは、LCCの致命的な事故がとりたて多いわけではなかったからだ。とくにアメリカのサウスウエスト航空とジェットブルー、ヨーロッパのイージージェット、エアベルリン、ライアンエア、そしてアジアのエアアジアというLCCの大手に墜落事故がないからでもあった。
 しかしエアアジアは墜落してしまった。
 その後、原因を究明するなかで浮かびあがってきたことのひとつに、インドネシアの問題があった。このエアアジア機は飛行許可を得ていなかったのだ。そして飛行許可なしに運航した便が61便もあったことがわかってきた。多くがLCCだが、そこには既存の航空会社も含まれていた。飛行許可を得ていないからといって、直接、事故に結びつくわけではないのだが。
インドネシアには前例があった。アジアに次々LCCが誕生していた時期、インドネシアにはアダムエアが生まれた。しかし2007年にたて続けに事故を起こした。メナド行きが墜落し、スラバヤ空港では着陸に失敗した。翌年、アダムエアは、インドネシア政府から運行停止の処分を受け、2009年には姿を消した。
 今回の墜落を、エアアジアというより、インドネシアの航空業界に体質に目を向ける人も少なくない。
 LCCが広まるなか、「墜落事故を起こしたら、一発レッドカード」という話はよく聞いた。その国の指導もあるが、利用者が敬遠し、やがて経営が立ち行かなくなるからだ。そういう例は、アメリカでは少なくなかった。
 これからのエアアジア……。
 僕の周りでは、すでに5、6人が墜落事故の後、エアアジアに乗っている。 エアアジア・インドネシアのチケットを買ったという人もいる。年始にバンコクからホーチミンシティまで乗ったひとりが、こんなことをいう。
「迷いましたよ。でも、運賃と運行時間を見ると選択肢はないといった感じでした。エアアジアがなければ、アジア内の移動の効率はすごく悪くなるんじゃないかな。もう、エアアジアはそこまで定着してしまったということかもしれない。乗客? そこそこ埋まっていましたよ。タイ人とベトナム人で」
 アジアの人の移動は、エアアジアなしではたちゆかないということなのだろうか。