先日、主要なダークツーリズムスポットをまとめたムック本、「世界ダークツーリズム」が洋泉社より刊行されました。
世界ダークツーリズム
ダークツーリズムとは戦災や災害跡地、虐殺現場や収容所、強制労働など死や悲劇の生じた現場をめぐる観光のこと。
角田光代さん、古市憲寿さん、森 達也さん、蔵前仁一さんなど硬軟とりまぜた豪華な執筆陣で、写真も豊富。tabinoteメルマガでもおなじみの我らが下川裕治さんは南京、ハルビン、ハノイと3ヶ所寄稿されています。
この本にはなんと現地までの行き方ガイドがついています。リサーチはこの手の調査が大好物なtabinoteが担当しました。
発売を記念して、tabinoteでもいくつか「負の遺産」に関する旅行記を掲載する予定です。
tabinoteの「負の遺産」旅行記をFacebookのtabinoteページの投稿からシェアいただいた方には抽選で3名様に「世界ダークツーリズム」をプレゼントします。(終了しました)
さて、今回はtabinoteメルマガで「世界一周ノート」を連載の青木大地さんに、2014年サラエボ訪問記を執筆いただきました。
(街の全景)
2014年8月。きっかけはベトナムで知り合ったポーランド人の言葉だった。旅行者の中では当たり前のように繰り返される「どこの国が一番良かったか?」というやりとりに、その人はサラエボと即答した。僕はサラエボがどこかも知らずにその話を聞いていて、機会があれば行ってみよう、くらいに思っていた。
そして東欧諸国を巡るうちに、僕はなんとなくサラエボをgoogleってみた。第一次世界大戦発端の地サラエボは、情報を見る限りは美しさの欠片も感じさせない場所だということがわかった。激戦地スターリングラードを始め、当時の戦争の傷痕が残る街としてサラエボは紹介されていた。僕は行くしかないと思い、厳しいスケジュールの合間を縫って急遽サラエボ行きを決断した。
僕はクロアチア・ザグレブからの日帰りでサラエボを目指した。早朝に辿りついたサラエボのバスターミナルは小さく、澄んだ空気に包まれていた。おおよそ、激戦の歴史を感じる暗く重たい雰囲気はなかった。
(バスターミナル)
僕は中心部である市内まで歩き出した。市内には東欧諸国でよく見かける大型スーパーやデパートが乱立し、小さなミリャツカ川を中心に路線バスが走り栄えていた。公園や山間に囲まれた長閑な風景に僕は他の東欧諸国と何ら変りない少し乾いた、小綺麗な印象を受けた。やがて名所ラテン橋へと歩を進めてもその雰囲気は変わらなかった。フランツ・フェルディナント夫妻暗殺の舞台であり、第一次世界大戦の引き金となったその地は、少しの観光客で賑わう程度だった。確かにサラエボは小さく美しい街だった。
(近代化された街並み)
(ラテン橋)
ただ、中心部に向けて歩き出し、ふと頭上を見上げた僕は、そこが紛れもなく世界的に類を見ない激戦地であったことを思い知らされた。建ち並ぶ古い建物のそこかしこに生々しい銃痕が残っていた。そしてその数は考えられないくらい広域に渡り、街中を網羅していた。
(中心街)
銃痕は教会や民家、ありとあらゆる建物に残っていて、痛々しいというよりはもはや景色の一部と化していた。人々の生活に撃ち込まれた銃痕は、もう見るのも疲れるくらいにサラエボを覆っていた。
旅を通してあらゆる戦跡を見てきた僕にとって、それでもサラエボは美しい街であることに変わりなかった。「キリングフィールド」「アウシュビッツ」に比べて全く悲惨さがないその光景は、やはり不自然だったのかもしれない。サラエボは今でも街として機能し続けている点がその違和感を助長させていたように思う。
サラエボへは近隣国からも日帰りツアーが多く催行されていて、もし近くに立ち寄った際には一見の価値があります。今良好者に人気のクロアチアからは特に多くのツアーがあるのでオススメです。
美しく、激しい戦跡の街サラエボの詳細は是非「世界ダークツーリズム」でお確かめ下さい。