柳下毅一郎(やなした・きいちろう)
1963年大阪府生まれ。英米文学翻訳家・映画評論家。多摩美術大学講師。訳書にR・A・ラファティ『第四の館』(国書刊行会)、アラン・ムーア/J・H・ウィリアムズIII『プロメテア 1』(小学館集英社プロダクション)など。著書に『新世紀読書大全』(洋泉社)、『皆殺し映画通信』(カンゼン)など。編書に『女優林由美香』(洋泉社)など。
柳下毅一郎のアウト・オブ・ディス・ワールド 第1回
tabinoteから旅行記を依頼され、快諾したのはいいのだが、それ以来あまり旅行に行くこともなくどうしたものかと思いあぐねていたのである。ところが友人ーーここでは仮にY氏としておくーーがアムステルダムに行ってきたというので、これ幸いと旅行記を頼んでみたのである。彼の快諾を得てここで発表させていただくことにする。なお、友人であるわたしが言うのもなんだが、Y氏は嘘ばっかり言っていてまったくもって信用できない人間であるので、彼の原稿は一切信用しないでいただきたい。すなわち、以下の記述はすべてフィクションであり、現実の出来事とは一切関係ありません。
アムステルダムのCannabis Cupは今年で27回目を迎える歴史と伝統を誇るイベントである。諸兄はすでに御存じかと思うが、オランダにおいてはマリファナ、ハシッシというソフトドラッグは実質的に解禁されている。麻薬禍に苦しんだオランダ当局がソフトドラッグの解禁という実験をおこない、それが見事に成功をおさめたのである。すなわちソフトドラッグの所持および使用については罰しない、という政策により、ハードドラッグの使用を一定限度おさえこむことに成功したのだ。オランダ全土にはコーヒーショップと呼ばれるマリファナ・カフェが存在し、そこでは誰でもマリファナやハシッシを購入し、使用することができる。ちなみにじゃあ日本人はどうなのという話になるのだが、日本の大麻取締法には国外犯規定があり(第二十四条の八)、すなわち日本国外で大麻を使用した場合でも罰せられる可能性がある。そういうわけで、本稿はすべてフィクションであり、現実のアムステルダム風俗との類似はたんなる偶然以上のものではありません。
Cannabis Cupを主催しているのは1974年に創刊されたサンフランシスコのマリファナ合法化運動雑誌High Timesである。大麻の解放を訴えるHigh Timesにとって、売春マリファナなんでもありのアムステルダムは約束の地。そこで世界で唯一、マリファナをおおっぴらに吸っても咎められない町でマリファナ祭りを開催し、その無害さと快楽を世に知らしめよう!ということになったわけである。Cannabis Cupのメイン・イベントはアムステルダム内コーヒーショップの人気投票。参加者は全員が「Judge=審査員」となって、コーヒーショップが提供するお勧め銘柄をたしなむ。いちばん好みの銘柄へ投票し、チャンピオンを決めるというわけだ。優勝コーヒーショップは一年間宣伝に活用できるのでものすごく真剣、腕によりをかけてものすごく効く奴を出してくる。それに加えて大麻関連グッズの見本市ともなるエキスポも開催され、マリファナの栽培ノウハウから文化的・政治的影響までを論じる講演が毎日びっしり。夜にはアムステルダムの有名クラブ/アートスペースであるMelkwegで連日パーティがおこなわれる。
ところが今年は様子が違った。開会直前にメールが来て、エキスポ会場がスキポール空港近く、市中心部から遠く離れたホールになったというのである。しかも会場内では大麻の販売は禁止で、個人で五グラムまでの持ち込みしか許されないというのだ。どうも市当局から締め付けがあって、法律を厳密に施行するぞと脅しをかけられたらしい。まあ一日エキスポに使うくらいの気持ちで、あとはのんびりコーヒーショップを巡ってればいいよね……とそこは軽い気持ちで出かけたわけである。
着いてみるとエキスポ会場はまたキャンセルになっていた! 見本市を強行すると逮捕する、と市当局から脅されたのだという。しかたなく講演会だけMelkwegでおこなうという緊急避難。こんなことはじめてだ!と怒る主催者。とはいえオランダのマリファナ観光は結構な政治的問題になっているので、アムステルダム市当局があまり派手な活動を好まないというのはわからないでもない。少々残念ではあるが、それならお店の品評会をがんばるだけか……